写真界と言うものにあきあきしてきた。このまま付き合っていたら、写真は、ただの趣味で終わってしまう。老後の楽しみにやっているわけじゃなし、野心的に撮っているわけだ。写真は面白くない。少なくともこのままでは面白くない。面白くなりたい、そのためには従来の写真をぶち壊さないと前に進めない。写真は単純な作業か?そうじゃないだろう。綺麗な写真を観ていると何とつまらないものかと思って、辟易する。感動的な写真はあるが、その裏にある努力とは裏腹に、奇抜な
写真を狙う意図が見え隠れして、すぐ従来の諧調に戻っていることに気付く。諧調が豊かな写真はもう、撮りたくない。写真の構造から一歩でも二歩でも前進したい。今求められているのは、ベルグソンの言う、より深いともいえる何かだ。人間の存在の核を掴み取らなくてはならない。ただ撮っているだけならスマフォ撮影とちっとも変らない。先生が言っていた、「写真は楽しいから撮るんだろ」と。失礼ですが、楽しく無くても撮ります、私は!新しい人間が必要だな。このまま年寄りに教えられていけば、若者は従来の写真どうりに、技術ばかりが先走り、創造的な写真は異端児として写真界にはいられなくなりますね。可愛そうな天才が、どんどん釘を打たれて死んでゆく。写真はうまくなくてもいいよ。そこに心があれば。ビジュアルアーツとはよく言ったもので、小手先のいい、諧調のすぐれたものを掴むのに長けた者が、優秀な人材として取り扱われるのですね?私は美術の心得を知っていますが、そんなものは、始めに、「写真とは諧調を見るものなんだ」とひとこと言ってくれれば大回りせず写真を理解できたろうに。ゾーンシステムは大事ですよ。しかし、2次元的な表面から心を打たれるものと言うのは諧調じゃないよ。スピリチュアルで、エンカウンターで、そして従来のものを壊し、その上に新しい道標を打ち立てるものなんじゃないですか?私は、従来の写真をすて、あたらしい道を行くために、今まで培った常識をすてることにしました。
写心
ー綺麗なphotographにドロップキックー
by ひこさん
inserted by FC2 system